奇天烈トロッコ
〜至高のナロー軌道43選〜
青森恒憲 著

Chapter-5 日鉄鉱業 尻屋鉱業所

トロッコとのめぐり逢いは様々なケースがあります。
昭和52年頃だったか、ヒマさえあれば大きな書店へ行って国土地理院の地図を物色していました。
どこかで何かしらのヒントを得て、それを基に軌道を探すためです。
かつて青森県の下北半島には、隣の津軽半島と並んで多くの森林鉄道が存在しました。
残念ながら、そのすべてが昭和40年代までに廃止されています。
しかし奥薬研あたりには軌道が残されているとのウワサもあり、これに興味を抱いたボクはひたすら五万図を見まくっていたという訳です。

目的の林鉄は見つからなかったのですが、尻屋崎付近で海に沿った軌道マークを発見しました。
よく見ると複線で、鉱業所ではループ線になっています。
軌道がトンネルに入る付近には石灰鉱山の印がありますので、石灰石運搬用であることは容易に想像がつきます。
しかし当時はトロッコ系の情報は本当に少なく、それ以上のことはわかりません。
具体的なことを何も知らず、昭和53年12月田名部駅前から尻屋崎行のバスに乗りました。

バスが尻屋に近づくと、なんと軌道が横切る踏切で停車。
姿を現したのは蒸気機関車のドレインみたいに蒸気を吹きながら力行するDLです。
思いもよらぬ光景に唖然とし、次の瞬間には興奮マックスでした。
蒸気を吹いて走る理由は防爆型DLの構造によるものです。
詳細は奇天烈トロッコをご覧ください(笑)
軌道は殆どの区間が海沿いですが、海面よりかなり高い位置を走っています。
列車は次から次へとやって来ました。うろ覚えですが、10分間隔くらいだったと思います。
真冬の津軽海峡から吹く風は冷たく、かなり寒かったですがほぼ一日をここで過ごしました。

雪のない尻屋も撮りたいなと思い、寝台特急ゆうづるで北上したのが1984年6月です。
電話帳で探した田名部駅近くのレンタカー屋でクルマを借りました。
これがポンコツのレオーネでガッカリ(苦笑) 価格は忘れましたが、そんなに安くなかったように思います。
クルマはポンコツですが、自由に動けるのは楽チンです。
この日は岩屋の旅館だか民宿に泊まりました。今ならインターネットで素早く検索できますが、当時は宿のガイドブックや電話帳ですね。
漁港の宿なので、夕食が美味しかったのは覚えています。
翌日の昼過ぎまで撮影し、レンタカーを返したあとに林鉄の痕跡を求めて大畑駅へ行ってみましたが、それらしいものは見つかりませんでした。
大畑駅の窓口で硬券の特急券、新幹線特急券を購入して帰京。
この頃は鉄道の旅もまだまだ楽しかったですね。



1978.12



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1984.6



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