山の分校を観察する


今回取材したのは、長野県南安曇郡奈川村の奈川小学校入山(にゅうやま)分校跡です。この入山集落というのは、飛騨高山と信州松本を結ぶ野麦街道(あの女工哀史で有名な)沿いにある宿場町で、かつては数軒の宿屋が軒を連ねていたそうです。が、自動車道路が別ルートで開通してからはすっかり廃れてしまい、今では住む人も殆ど居ない地になってしまいました。
 旧街道から脇道に入って、小道を登ること約10分。ネコの額ほどの校庭の奥に、その分校はありました。
取材:平成15年10月19日 奈川村奈川小学校入山分校跡

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栗の実がそこここに落ちている小道を登ると、その分校はありました。門柱はタイルで装飾してあった形跡があり、その基部には「昭和八年七月」の文字が刻まれていました。


校門を入ると、山の上の分校です。ネコの額ほどの校庭の向こうに校舎が見えます。往時はどれだけの児童がこの学び舎を巣立って行ったのでしょうか?


そのまま残されている教室。古いドアノブ。水飲み場。ふと目を閉じると、子供たちのはしゃぐ声が今にも聞こえてきそうです。


裏山の登ると、木立に囲まれた校舎が見えます。地図上左下がこの分校跡で、右上が宿場跡です。その宿場の松田屋。このような建物が数軒、街道沿いに放置されたままになっています。