もりこーの木曽路日記

特別寄稿 巻本さんのアルバムから−4
前回に続いてHP用の1976年8月25-27日に木曾森林鉄道を訪れた時の写真を送ります。前年、上松で「さようなら林鉄」の「お別れ式典」があった後も、大鹿−助六のウグイ川線だけは、奥地にひっそりと残って運行されていました。しかし、この区間も安住地ではなく、廃止も時間の問題となってきたために、急遽「木曾詣で」をしました。この時も夜に友人と車で出発して、早朝に大鹿に到着しました。ウグイ川線だけになってからは、本数が少ないので列車ダイヤが作成されなくなり、電話連絡で適当に列車を走らせていました。おかげで、駅の近くにいないと、いつ、どちら側から列車が来るか判らず。撮影には苦労しました。


@、A製品化された「木曽酒井モーターカーU No.4」です。模型ではラジエターグリルの穴が縦に7列ですが、実物では9列です。また実物では雨トヒ後ろにRがあります。その結果、実物の方が少し引き締まった表情になり、模型の方が少し間延びして愛嬌があります。このモーターカーの足元にぶら下がっているのは脱線復旧器で、これにより足元が少し重く感じられます。しかし、塗り分けの方は本当にやぼったいですねぇ。写真@の右端には、足まわりを外された王滝営林署の理髪車が少し見えています。1976-8-25大鹿


BモーターカーNo.72ですが、室内に見える銀色のプラカード状のものは、手製のサンバイザーと思われます。モーターカーの車体4隅に付いているのは、転向用ハンドレール(兼バンパー?)です。1976-8-25大鹿


Cモーターカーのお尻3態。小さなモーターカーでも、こうして並ぶと壮観ですね。一番左側No.72のモーターカーのホロは、バックライトのところがくりぬかれているのが判るでしょうか。右:No.5、中:No.不明、左:No.72。1976-8-25大鹿


D手押しでバックするモーターカーNo.64。小型モーターカーは「シャー」という軽い金属音と伴に、手押しでも軽くバックすることができました。左はモーターカーNo.5。1976-8-25大鹿


E木曾酒井の最終ロット5t DL No.132。木曾酒井A型DLの排気管は、通常前から見て右側にあるものが普通なのですが、この機関車の場合はそれが左側にあります。この後期型DLの模型を多数購入予定の方は、一台くらいは穴を開け直して排気管を左側に移設すると、さらに個性が強調されるのではないでしょうか。さて、後ろのB型客車No.18は、上松で4年前に見たときは、色がほとんど木の地肌でしたが、リニュウアルされ見違えるようにきれいになったことが判ります。当時はとても同じ車輌だとは思えませんでした。1976-8-25大鹿


F住みかを追われたモーターカーNo.5は余生を大鹿で過ごしていました。このモーターカーのフロントガラスは、車体にきれいに密着しているので、「上方に開けることができる」ことはこの時まで分かりませんでした。レイアウトの季節を夏に設定されている方は、このように窓を少し開けましょう。いくら愛称が「冷蔵庫」でも、冷凍コンプレッサーは付いていませんでしたので。1976-8-25


G制動車No.5です。台車が担いバネ式に交換されたNo.4を除いては、制動車の下回りは木製運材台車のままでした。ブレーキハンドルがない方のデッキは少し短く、Rが付いていました。手すりの長さと位置は各制動車毎に異なっていますが、さらに両側で長さが異なるものも、このようにありました。窓の左下に車掌弁が見えています。1976-8-25大鹿


H、Iこれが有名な貴賓車です。同型の「No.1」とは異なり、貫通ドアは観音扉に改造され、貫通ドア側にデッキはありません。また屋根の上にかわいらしくガーランドベンチレーターがのっています。左に見えているのは楕円タンク車です。信号所兼事務所からワイヤーでつり下げられているのは、番線表示札で、15までありました。1976-8-25大鹿


JC型客車No.3の内部はこのようになっています。C型客車はNo.5は別として、ドアの位置が線対称で、座席は1+2と(2+1)x2で3列の定員9名でした。巧妙に作られた転換クロスは、枕を反対側に回転させることができました。1976-8-25大鹿


K大鹿のウグイ川線のトンネルを出て大鹿構内に進入する木曾酒井C4。運転席は相当暑いのか、運転手さんはシャツイチですね。立札に「関係者以外のトンネル内の通行を禁止する」と書かれていますが、さて何人の「鉄ちゃん」がこのトンネルを抜けたのでしょうか。1976-8-25


Lキャラメルのようなラッセル車です。大鹿構内の東の外れにぽつんと置かれていました。夏で草が茂っていますが、ちゃんと線路の上に乗っていました。上面がどうなっているか知りたくて、手を伸ばして「めくら撮り」をした1枚。色々なものが上に乗っていますが、上面はほとんど何もないフラットでした。1976-8-25


M大鹿内燃機関車庫です。本線がなくなってしまうと、このように半分ガレージ代わりになってしまいました。シャッターの奥に木曾酒井C4が写っています。1976-8-25


N木曾酒井の最終ロット5t DL No.131。先程のNo.132とは異なり、バックミラーが2個あります(赤沢では1個で保存)。隣には交換用枕木などの保線物資を積んだ運材台車が見えます。1976-8-25大鹿


ONo.131(左)とNo.132(右)。バックミラーのあるなし、排気管の右左、タイフォンの数、などよく見ると本当に指紋のように個性があった木曾酒井5t DL。まもなく製品化されるようですが、皆さんはもう好みのものがお決まりでしょうか。1976-8-25大鹿


P上松の理髪車ですが、「さようなら林鉄」の現地式典でお披露目された後は、大鹿で保管されていました。化粧直し後1年経つと、屋根や羽目板などが少し傷んできたのが判ります。それでも、足まわりを外されて放置された王滝営林署の理髪車と比べれば、扱いは雲泥の差です。私個人的には、スマートな上松よりも、王滝営林署の理髪車の1つ目の妻面側の怪しげな雰囲気が好きでした。ところで、ブレーキポストには洗濯後の足拭きマットが干されています。こういう生活臭というものは、レイアウトで模型を引き立たせるポイントだと思いませんか。右隣には木製手押しトロッコとモーターカーのお尻が見えています。1976-8-25大鹿


QNで見たDL No.131の反対側です。木曾酒井の5t DLは足が遅いので、通常このようにサイドの前エンジンカバーを外していました。1976-8-25大鹿


R「うーん、どうしよう」と言う声が聞こえてくる脱線現場。この王滝本谷No.11 B型客車の扉の筋目は2本入った珍しい物。結局、酒井C4 DLによって線路上に引きずり上げられ、無事脱線は解決しました。1976-8-27大鹿