もりこーの木曽路日記

特別寄稿 アララギさんのアルバムから

赤沢に始めて行ったのは、76年ぐらい(中学生でした)でしょうか。(写真左)土場の跡には、49号機が集材機、運材台車とともに展示?してありました。上松色に塗り替えられた直後で、周りに飛散した塗料が妙に生々しかった印象が残ってます。ちなみに、この時点での屋根の色は黒でした。
 現在の保存軌道の位置は上部木橋付近のにあたり、かなりの造成、土木工事(木橋撤去、石積み)がなされました。(写真右)この時、助六色の131号機が土とバラストを運び、路盤工事に供されていました。酒井、土運車ともに現役当時のままで、ウエザリングの効いた良い質感でした。この時点で49号機は、姿を消しています。
 手前の遊歩道(木橋)は、現在でも残っているはずです。土場の跡は駐車場となり、49号機は福沢記念館に移されています。

前後して森林鉄道記念館の建設が始まり、上松土場のボールドウィンが、赤沢に移されるだろうことは、想像に難くありませんでした。問い合わせに対して、非常に丁寧な案内を営林署から貰い、運搬当日、出かけて行きました。78年のこの日、協三と酒井の2両もボールドウィンとともに、赤沢へ搬入されています。
 この時期、数多くの機関車や客車がトラック上の客となり、あっちへ行ったり、こっちへ戻ったりしていたようです。理髪車は、上松から大鹿を経て赤沢に移っています。

もりこー:東京都在住のワーゲンクラブ会員・アララギさんが、写真を送って下さいました。赤沢の保存軌道が整備される前の写真。これも今となっては貴重なひとコマです。