第三回:柏原あたり(前編)

海線は新田を過ぎると一気に勾配を駆け上がり、奥羽本線をオーバークロスしてしまう。ここいら辺は最初から電鉄として開業した出羽電の真骨頂とも云える点で、これが蒸機運転での開業鉄道だと、このような勾配設定はしないだろう。
 先程からどうも気になってしょうがないのが、私の目の前に座った三人娘だ。鶴木で駆け込むようにして乗って来たのだが、どうも彼女達の会話から、男鹿湊へ海水浴に出掛けるらしい。既にこの夏、何回か泳ぎに行ったのだろうか、彼女達の肌はもう、こんがりと日焼けしている。
 「でもさア、昨日のヒットパレード見たア?ジュリーったら、、すっごいカッコ良かったじゃない!」「私はショウケンだなア。ジュリーの目ってチョットイヤらしいじゃない。ショウケンの方がワイルドでカッコイイなア!」
 かしましいとはこの事を云うのだろうか、彼女達はどうやら昨晩のテレビ番組の話をしているらしい。今はグループサウンズとかいうものが流行っているらしいが、私にしてみればただの騒音にしか聞こえない。私達が青春だった頃は浜田光夫や吉永小百合が憧れの的で、私も彼女の主演映画は欠かさず見に行ったものだった。主題歌にしても今の騒音とは違い、美しいメロディーを持ち、哀愁を帯びた心に染みるような歌だったものだ。どうも今の娘達にはついて行けない。


右に左に大きく揺れると、海線唯一の交換駅柏原だ。柏原の駅のホーム配置は面白く、かつての近隣の農協から出荷された農産物を扱っていた頃の名残が、線路配置に見受けられる。
 右に見える大きな農業倉庫が、豊かな土地柄を表しており、その脇には火の見櫓もそびえている。
 ガラガラと大きな扉が開き、コンプレッサーが起動し始めると、列車交換だ。まだ向こうからの車影は見えないので、ホームにでも出てみようか。あたりはひっそりと静まりかえっている。

柏原の集落、正確に云うならば、現在の秋田県南秋田郡男鹿町大字柏原は、男鹿湊の奥座敷としてかつては栄え、鉄道が敷かれる前は羽州街道の往来で大層賑わったものだそうだ。♪嫁入り道具、買うならア柏原♪、という文句が、土地の民謡にも出てくる程、といったら判り易いだろうか。それが鉄道(現在の奥羽本線)が敷かれてからというものは、朽ち果てた土蔵があちこちに残るだけの農村になってしまっている。しかし、街道沿いに残る「うだつ」が、建築学会関係では結構知られた街のようで、いうならば鉄道ファンにおける横〜軽や根府川鉄橋みたいなものだろう。