「釧路市立博物館企画展」の巻


釧路市立博物館は創立80周年を記念して、特別企画展「釧路・根室の簡易軌道」を10月29日から1月15日まで開催しているのですが、その中のイベントとして2回に亘るバスツアーと共に、講演会が11月26日に予定されていましたので、これに併せて訪釧する事に致しました。

講師の方々は、その道では余りにも著名な湯口 徹氏と、長年「レイル・マガジン」の編集長として御活躍されてこられた名取紀之氏。
 湯口氏とは私が「プレス・アイゼンバーン」に在社していた頃に「私鉄紀行」の関東編と北海道編の編集をやらさせて頂いた関係、名取氏とは私が大学時代に知り合った旧知の仲ですので、今回の講演会はそういう意味でも特別な懐かしさを覚えたものとなりました。

会場には道内は勿論のこと、遠くは東京・大阪・福岡からわざわざこの講演会を聴きに来られた方もいらっしゃったほどで、100名を超す盛況となりました。




 

 

この立派な建物が釧路市立博物館で、エントランス部分に簡易軌道の写真のパネルや各種資料の展示が、マンモスホールと名付けられたホールで講演会が開かれます。
 エントランスで貴重な資料を見学していたら、道内の多くのお得意とお会いしたり、東京から早朝の便で飛んで来られたというお得意様などとお会いし、「お互いに好きですね〜」などと談笑したりしました(^_-)。
 当社で発行した「簡易軌道写真帖」の共著者である今井 理氏や、釧路製作所に勤務され、大夕張鉄道保存会会長の奥山道紀氏とも久しぶりにお会いして、旧交を温められたのも楽しい時間でした。
 展示されているレールは手前から6kg、10kg、12kgで、いずれも貴重なものです。


 

釧路在住のお得意様・小島祐二氏が製作された2点のミニシーンは、いずれも地元の方ならではの観察眼が活かされたもので、素晴らしい出来栄えでした。

 

同じく、小島祐二氏が製作された車両と、清水一史氏が製作されたレイアウトのコラボ。
 会場にいらっしゃった札幌のお得意様から、このような機関庫や詰所などのキットを製造して欲しいとの御希望をお伺いして、目からうろこになりました。
 確かにそういう製品があっても良いですね。林鉄モノは出してるのですから(^_-)。
 右は当社が提供した根釧地方の簡易軌道の車両たち。


 

今回の企画展を企画された学芸委員の石川孝織氏。この企画展開催にあたり、全国から簡易軌道の資料を集められたというだけあって、見た事もない写真が多数展示されていました。
 そして、鶴居村営軌道の運転手さんだった小野さんとの再会。この方からは今までも特に車両の色に関しての知識を授かってきましたので、とても有難い存在です。


 

その小野さんの想い出話がパネル展示されていましたが、来場者だけの知識としておくのは勿体ないので、どうぞお読みになって下さい。
 乗り心地の話、お産の逸話、ラジオの話などなど、現場の方でないと語れないような貴重なお話です。(写真をクリックすると大きな画面で見られます)


 

標茶町営軌道の各種切符。御卒別と書いて「オソベツ」と読みますが、今の道路標示のアルファベットは「オソツベツ」となっています。読み方が変わったのでしょうか。
 左の写真、右の2枚の車内販売券は「標茶駅前」からの表示になっていますが、左の切符は「開運町」からになっていますので、標茶駅前〜開運町の区間が廃止になってからのものです。
 右の写真で「生命の保証は致しません」と書かれているのが印象的な1955(昭和30)年の乗車券。
(写真をクリックすると大きな画面で見られます)


 

同じく標茶町営軌道、昭和34年10月改正の時刻表。
 上オソベツに駐泊した自走客車は始発として開運町まで運行され、1日3往復、ピストン輸送されていた事が判ります。
 上り列車が奇数、下り列車が偶数というのは、国鉄とは異なりますが、出発順に番号を振ったものでしょう。

別海村営軌道の乗車券と時刻表。
 奥行臼と上風蓮との間を1日4往復しており、こちらも標茶と同様に列車番号が規定されていた事も判ります。
 因みに「別海」は1971(昭和46)年に別海村から別海町に変わっていますので、軌道も村営軌道から町営軌道へと変わりました。(写真をクリックすると大きな画面で見られます)


 

浜中町営軌道の各種切符。
 廃止された1971(昭和46)年は、国鉄が「ディスカバージャパン」という大々的なキャンペーンを開始した直後だったからか、写真のような廃止記念切符も販売されました。
 右のグラフは、いかに道路の舗装の進展と反比例するように簡易軌道が廃止されていったか、という事が判る興味深い資料です。(写真をクリックすると大きな画面で見られます)


 

さて、今回の目玉である講演会は1時半から4時まで行われました。
 熱心なファンの方々が全国から来られ、100名を超える聴取者の数には驚かされ、いかにこの「簡易軌道」がひとつのジャンルとして根付いているか、が窺われました。
 まず、トップバッターはローカル私鉄やナローゲージ研究で著名な湯口 徹氏によるもの。
 鶴居村営軌道で続行運転されていた自走客車で、前を行く列車が俄然スピードを出し始めたら、続行する列車の車内では「それ行け!」と歓声が飛び交い、路盤も緩い湿原地帯でそれこそデッドヒートが繰り広げられた話など、実際に体験した方でないと語れないような、貴重なエピソードを愉快な口調で述べられていました(^^♪。(撮影:奥 清博氏)


 

続いて、長年「レイル・マガジン」の編集長として活躍してこられ、日本鉄道保存協会顧問でもある名取紀之氏による、「唯一無二の地域遺産をどう残すか」という、保存協会会員から見たお話。
 馬車鉄道根室線を旅した廣田尚敬氏の写真や、外国の保存鉄道の例を引き合いに出しながら、他に例を見ない「簡易軌道」というものの貴重さを熱の込もった口調で語って頂きました。(撮影:奥 清博氏)


 

4時に講演会が終了する予定だったのですが、嬉しいことに20分ほど延長して終了。
 実は時計と睨めっこだったのですが、釧路空港から千歳に飛ぶ飛行機は6時のフライト。
 その前にレンタカー屋に寄ってクルマを返す手続きをしなければならないし、当然搭乗手続きもしなければならないので、釧路の街中をぶっ飛ばして行きました(^-^;;。

今回は3泊4日という短い旅でしたが、実に実りあるものとなりました。
 この経験で頂いたインスピレーションを元に、これからも製品作りに邁進して行こう!と心に誓って、ナイトフライトの人となりました。




 

今回、当社でも協力させて頂いた「釧路市立博物館」の企画展では、これを記念して御覧のようなバッジが製作され、現地で1個100円で売られていました。
 日頃お世話になっている地元への感謝の気持ちを込めて、2種類各20個を購入させて頂きましたので、お得意様への記念品として本日からの「簡易軌道の製品」の出荷時に、どちらか1個を同封させて頂く事に致しました。
 2種類あるうち指定はできませんので、その点は御容赦願いますが、釧路に行かれない方々へのお裾分けの気持ちですので、どうぞお受け取り下さい。
 また、右の写真のような「浜中ヴァージョン」と「別海ヴァージョン」のペーパークラフトも配られていたのですが、これは釧路市立博物館からプレゼントとして各5枚を頂きましたので、御希望の方には送らせて頂きます(通常の当社の発送用ダンボールには入りませんので、別途郵送させて頂きます)
 御希望の方は「どちらを御希望かを明記のうえ(恐れ入りますが、どちらか一方でお願いします)こちら からお申込み下さい。
 記念スタンプが押されたリーフと一緒に送らせて頂きます。