「釧路・根室地方の遺構を訪ねて」の巻


前書きにも書きましたように、釧路市立博物館では2回に亘ってバスツアーを行いました。
 1回目は平成28年10月16日に「鶴居・標茶編」と題して、鶴居村営軌道・標茶町営軌道の跡を辿るもので、2回目は同11月6日に「浜中・別海編」と題して、浜中町営軌道・別海町営軌道の跡を辿りました。
 残念ながら両日とも都合がつかず参加できませんでしたので(道外からの参加者も多く、応募倍率は3倍だったそうです)、その時のパンフレットをお分け頂き、そのままのコースを辿ってみる事に致しました。
 今まではポイント的に訪問していた遺構ですが、こうやって系統だてて訪ねるのは初めてでしたので、急ぎ足ではありましたが楽しいものとなりました。




 

 

安曇野や松本は前夜から雪が降り出してしまい、日本で一番離着陸が難しいと云われている松本空港ですから、果たして欠航にならないか心配だったのですが、幸いにも運行してくれました。
 松本から千歳へは毎日一往復飛んでいますが、釧路まで行く直行便はありませんので、一旦千歳へ飛んで釧路行きに乗り換える事になります。
 しかもお互いに便数が少ない事から、空港で3時間も時間を潰して(帰りは一泊しないとなりません)ですから、やはり釧路は遠い地です・・・。
 松本からはFDAの小型ジェット機ゆえか、意外といつも搭乗率が高いのですが、流石にこの時期は空いていました。
 千歳からはANAで大きな機体なのですが、ローカル便のためかガラガラ状態^\^)。松本を12時過ぎに飛び立って、千歳で3時間の乗り換え時間があって、釧路に着いたのは5時半でした。


 

 

釧路到着の翌朝、まずは釧路湿原を眺めながら鶴居村を目指します。
 ふるさと情報館みなくるは過去にも訪問したことがあり、ここには郷土資料館から移転した泰和製6tDLと同自走客車が綺麗に保存されています。
 一昨年に訪問したときには、ペンキ塗りたての状態で綺麗だったのですが、色が微妙に違っていたのと白帯の感じが違っていたということで、再度塗り直されたそうです。
 屋根付きの保存状態といい、何度も塗り直して正規の色に近づけようという気持ちなど、なかなか力を入れて下さっているようで、頭が下がります。
 話は前後しますが、鶴居村の自走客車の色は、最初は国鉄マルーンと同じ色だったものが、濃淡グリーンに変わり、最終的にはこのような濃淡ライトブルーに変わった、という事を翌日お会いした元運転手さんからお伺いしました。
 因みにこの保存車両の屋根は、ヘッドライトケースも含めてライトグレーに塗られていました。


 

 

今回は更に、車内も見学できるようになっており、考えてみたら初めて自走客車の中にも入る事が出来ましたが、御覧のようにとても綺麗な状態に仕上がっていました。
 片側のシートの下には所々に穴の開いた太いパイプがあり、この穴から床下の暖房器で発生させた温風が出てくる仕組みになっています。
 右下の写真は6tDLのキャブ内です。



この旅に出る前に、スマホには「field access 2」というアプリをインストールしておきました。
 これは国土地理院の地形図・空中写真(過去のものも)とGPSを組み合わせて閲覧できるようになっており、今回出発前に各線区の停留所の位置をマーキングしておいて大いに役立ちました。
 細かくは後ほど御説明を致しますが、ホントに便利な時代になったものです。


 

鶴居村営軌道幌呂線上幌呂停留所ですが、今回は当社で発行した「簡易軌道写真帖」の当該ページをコピーして比較用に持参しました。
 この線区は1968(昭和43)年に廃止になっていますが、48年経った今でもこのように現存していました。
 隣りの事務所は当時の物から「改良工事」により新しくなっていますが、当時のままです。


 

典型的なブロック積み構造の簡易軌道用機関庫です。
 ブロックの大きさはJIS規格により決まっていますので(390x190mm)、この機関庫の大よその大きさが判ります。
 この方法から算出すると(間のセメント寸法などの誤差を勘案し、400x200mmと計算して)奥行13600x幅6400x高さ4000mm+妻面の三角部分の高さ、という事が判ります。
 窓は向う側も含めて僅か5ケ所しかなく、ここがいかに酷寒の地かという事が判ります。


 

これまた典型的な軌道事務所のスタイルをしたものです。
 窓下部分までがコンクリで打ってあるのが特徴で、これは土が凍った際に土台を持ち上げて歪んでしまうのを防ぐためのものです。
 一般的に「雪国の屋根の勾配はきつい」と考えられていますが、必ずしもそうではなく、意外と勾配が緩くて、本州の雪の無い地方とさほど変わらないものです。
 先入観から屋根の勾配をきつくした模型を作ってしまわないよう、要注意ですね。


 

標茶町営軌道沼幌支線沼幌(ヌマオロ)停留所ですが、ここに辿り着くのには例のアプリが大いに役立ちました。
 スマホの航空写真左上から下がっている白い線が軌道で、ぐっと右に曲がって橋を渡り、終点の沼幌停留所に入ります。
 この線区は1966(昭和41)年に中御卒別から分岐した支線ですが、既に並行する道路の改修が進んでいた事から、1970(昭和45)年には廃止になっていますから、僅か4年間しか運行していなかった事になります。


 

どうでしょうか?何と廃止後46年経った今でも、この2棟の建物は寄り添うようにそのまま建っており、かってはアクセス道路だった部分に雑木が生えてしまったものの、この光景に遭遇したときには鳥肌が立ちました。

 

 

表面はコーティングされていますが、この機関庫もブロック積み構造です。
 窓の幅(1820mm)から察して、上幌呂の機関庫とはそう違わない大きさのように見えますが、どうでしょうか?


 

この軌道事務所も典型的なスタイルを踏襲しています。ただ、上幌呂のそれよりも屋根の勾配がきついようです。

 

停留所構内を出発した列車はすぐに橋を渡りますが、この橋梁も現存していました。

 

標茶町営軌道上御卒別(カミオソベツ)停留所跡には、転車台のコンクリートが粉砕された物だけが残っていました。
 右の写真に僅かに見えている赤い建物の脇に転車台があった模様ですから、この広大な平原の片隅に停留所があったのでしょうか。


 

別海町営軌道上風蓮停留所跡は、八幡神社が目印ですが、ここにも機関庫が現存していました。

 

 

 

 

左上が当時の上風蓮停留場周辺の航空写真で、軌道は右下から斜めに入ってきて、大きなカーブで北上して構内に入ります。
 右上の現在の地形図を見ると、Tの字型の交差点は十字型に変わっていますが、正にこの部分が停留所があった場所です。
 左下はもう少し倍率を下げた航空写真で、右の方に緑印をした箇所が七号停留所です。
 この機関庫もブロック積み構造ですが、物置が一体化されていて、庫内から出入りできるようになっているのが特徴です。
 これなども、内地でしたらドラム缶などが「そこいらに放ってある」ケースが多いなか、こういった所にも北海道を感じますし、これで北海道を表現できるのではないでしょうか?


 

 

 

浜中町営軌道秩父内停留所跡は町により整備されて、説明看板や案内表示などもあり、軌道事務所が綺麗に保存されていました。
 浜中町営軌道は、茶内を起点として秩父内で円朱別線が分岐し、秩父内の先の中茶内では西円朱別線と別寒辺牛線が分岐していました。
 つまり、秩父内停留所は茶内に入る前の重要な場所だった訳で、西円朱別線からはミルクタンクローリー車の列車が到着していたものです。(説明看板は写真をクリックすると大きな画面で見られます)


 

 

 

浜中町営軌道で使用されていた釧路製8tDLはJR茶内駅近くの「ふるさと公園」に保存されています。
 廃止後、バス乗り場として活用されたのち、同公園に保存されていた泰和製自走客車は、残念ながら荒廃が酷くて解体されてしまいましたが、台車だけが保存されています。
 最初に見た鶴居村の保存車両と比べると、あまりの保存状態の違いにガッカリしますが、せめて屋根を着けてやるなど、何らかの対応を期待したいところです。