2008/09/07 オヤジの想い出
先月28日に父が88歳で亡くなり、3日に菩提寺の上野の墓に納骨を済ませてきました。この間、臨時休業とさせて頂き、皆様にはご迷惑をお掛けしたことをお詫び申し上げます。また、多数の方々より心温まるメールや弔電を頂き、感謝に堪えません。この場所をお借りして御礼申し上げます。
そもそも鉄道模型という趣味を始めたのは、父がその趣味を持っていたからで、幼少の頃から3線式Oゲージや次第に広まりつつあったHOゲージに親しんできました。日曜ともなると、押入れからレールを出してくれ、イボイボのついたパワーパック(当時はトランスと云っていました)を配線し、ボクは畳に頬を押し当てながらいつまでも飽きずにその走る光景を眺めていたものです。
まだ日本型のHOなどは発売されておらず、父のお気に入りは天賞堂で買った「ニューヨークセントラル20世紀特急」。銀色に輝く流線形の車体、屋根上に飛び出たドーム型展望席、展望車の流麗なスタイルにボクは「アメリカ」を感じ、鉄道模型の楽しさを知りました。
ボクのおじいちゃんは京都に住んでいたもので、夏休みなどになると家族揃って出掛けたものです。まだ「特急つばめ」が客車で走っていた頃です。葉山の家から逗子まで行き、横須賀線で横浜で乗り換え。電車特急の「こだま」が登場したのが1958年ですから、この客車での旅はボクがまだ4歳になる前のことでしょう。4歳という年齢にとって、横浜から京都という長旅は退屈そのもの。恐らくむずがったのでしょう。そんなボクを最後尾の展望車に連れて行ってくれたのを、今でもよく覚えています。
スハ44の連なる長い長い通路を歩いて行き、最後に辿り着いた展望車。オヤジが何か車掌に頼み込んでいる姿も覚えています。そしてドアを開けるとパーッと広がった異次元の空間。モボやモガなどソファーで寛いでいるのも覚えています。そんな中を通り抜けて出た展望台!激しい震動に恐怖を覚えつつ手すりに掴まり、もの凄いスピードで風景が後ろへ後ろへと流れて行く爽快感。今となっては貴重な経験をさせて貰いました。かの車掌さんには心からお礼を申し上げたい気持ちです。
次に記憶にある京都行は「こだま」の旅。親がすぐに着いちゃうよ!というのを過信したものでしたが、サブマリン707のプラモデルを車中で組み立てていた記憶だけは残っています。
そんな父との想い出は尽きませんが、ボクが鉄道模型の業界に入り最初に設計した「珊瑚模型店の9600原型」と、メーカーを起こした最初の製品「上芦別の9200」の組立見本だけは大事に自分のケースに飾っておいてくれました。
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