「沼尻鉄道現地調査会」の巻-2


二日目は昨日と打って変わって超快晴!メンバーはみな、やる気満々です。宿屋の前で気勢を上げて、いざ出陣!!奇しくも参加メンバーは11名で、沼尻鉄道の駅の数と同じでした。



 

宿屋を出て沼尻駅まで下って行ったら売りペンションがあって、そこには米軍払い下げの消防車がありました。「黄色いハンカチ」。高倉健さんの映画を思い出しちゃいますね。



 

沼尻旧駅舎です。位置は少し移転していますが、そのまま物置として使われています。これは昨日安部さんから聞いた話。彼女はここを沼尻鉄道資料館にしたいという考えなのだそうですが、管理などの問題が山積されていて、なかなか実現に漕ぎつけないらしいです。でも実現させたいですね。何でこんなにも彼女は「軽便(彼女は沼尻鉄道をこう表現していました)」に入れ込むのかというと、この鉄道にはやはり子供の頃から親しんでいて、廃止は高校生のころだったそうです。廃止されてしばらく経って「アサヒグラフ」に沼尻鉄道の特集号があるのを目にし(新井清彦さんが撮影された桜の観音寺川鉄橋の写真が見開きで掲載されていたそうです)、その姿にいたく感動して、何とかこの素晴らしい軌道の姿を後世に残したいという衝動にかられたそうです。それ以降、新井さんに連絡をとったり、仕事の合間を縫って協三に足を運んで資料を集めたり、沿線の家々を訪ねては写真を集めたりして、写真集の出版にまで辿りついたそうです。この出版費用の捻出も並大抵のものではなかったそうで(初版分は買取だったらしく)、そんな話を前夜いろいろと聞かせて頂きました。メンバーは勿論採寸しています。



 

 

沼尻駅を出ると、木地小屋まで一気に勾配を下っていきます。木曽モジュール倶楽部のメンバーでもある栗島さんと話していたのですが、この情景って燃えますねえ。とかく沼尻鉄道というと、田園風景の中を走る姿を思い浮かべてしまいますが、ここだけは全く雰囲気が違います。むしろ草軽のような高原列車の感じ。沿線には磐梯山が噴火したときに降ってきたという巨岩がごろごろしていました。



 

安部さんのお宅を訪問。沼尻ウォーキングのときに作ったパネルや、写真集編集のために集めた写真などを見せて頂きました。もうメンバーは興奮状態です。



 

もと機関士だった方から頂いた制服。これらもいずれ記念館が出来た暁には展示したいそうです。



 

これは沼尻鉄道の記念品の杯や鋏など。右の写真はちょっと説明が必要でしょう。彼女が子供の頃、線路端で貨車から落ちた硫黄をよく拾っていたものだそうです。これを湯で練って葦などの先につけて乾燥。焚き木に重用したらしく、親に喜ばれたそうで、それを再現したものがこれ。



 

沼尻ではこのような硫黄を使って作った大黒様を売ったりしたこともあったそうです。メンバーがウチのガソ101を安部さんに見せたところ、とっても嬉しそうな顔をなさっていましたよ。ボクもこんなときには、あ〜、この仕事をやってて良かったな〜、と思う至福の瞬間です。




安部さんのお宅を辞するにあたって記念撮影。来年の秋には何とか地元で運転会を開くことを約束して。