もりこーの木曽路日記

特別寄稿 山野さんのアルバムから−1 No.47

ワーゲンクラブの会員でもりこーの昔からの友人である兵庫県在住の山野満さんから、貴重な写真をお送り頂きました。氏が東京の大学に在学中に僕は珊瑚模型店の社員で、よくお店に遊びに来られてはナローの話に花が咲いたものでした。
  あれから20数年、これらの写真を皆さんの模型作りの参考して下さい、とのことで御協力くださいました。また、氏が文中で書かれていますように、皆さんの中に47号機の写真を撮っておられる方がありましたら、ぜひ御投稿ください。(もりこー)

当時、大学生で東京に下宿していて、RM21号の連載「木曽谷の森林鉄道」にもあるように赤沢にレールが敷かれたと聞き、秋の連休に実家へ帰る途中にまず上松に立ち寄りました。
  47や136などが保管してあると聞いていたのでまず上松の貯木場へ行きました。これが唯一写せた47で、自作しようと実測までしていたのですが、当時小さいモーターもなくフレームのみで挫折してしまいました。このようなアングルの写真しかありませんので、陽の目を見ないままになっていましたが、モデルワーゲンから47が発売されると聞き思わず喜んでしまいました。
  現役当時、または赤沢にて保存されていた姿を写された方もおられることと思います。他にも木曽森林鉄道のこんな塗装があったという写真があれば、ぜひ見せて頂ければと考えてこれらの拙い写真をほんの参考までにご笑覧頂きます。


@上松貯木場横の客車庫に押し込まれていました。「木曽谷の森林鉄道」55ページ107の上に写っているうなぎの寝床のような場所で両側に波板の壁があり、広角レンズを持って行かなかったのでこのような角度しか写せませんでした。('78.10.30)


A後姿です。この写真から現役最後の頃は緑/茶色の塗り分けであったようです。('78.10.30)


Bボンネット内の砂撒き管の横にホーンがあります。('78.10.30)



Cその後、就職して初めて有休を取り信州・北陸のスイッチャーめぐりの途中に立ち寄ったら、なんとクリーム/茶色のピカピカの塗装になりシートをかけてC型客車1とともに置かれていました。この状態は「山下さんのアルバム−4」にもっとちゃんとした写真があります。このあと赤沢に保存されたそうですが、'85年に奇跡の運転再開が始まるにあたり93と交代で長野営林局前に移ったようです。('80.12.6)


D台ワクのKATOWORKSの鋳出し文字。('80.12.6)



E軸箱のKSTの鋳出し文字。('80.12.6)



FC型客車1。左側のシートをかぶっているのが47。