「鶴居の泰和製自走客車」の巻


かつては郷土資料館の前庭に保存されていました。
 資料館が廃館になり、新たに出来たふるさと情報館みなくるに統合されたため、主の居ない庭に置き去りにされた状態となっていました。
 しかし、この春にここに移設され、それを機に今までは間違った塗色だったものが塗り直され(泰和車輌製6tDLもライトブルーから正規の色に塗り直されました)、しかもボクが訪れる数日前には屋根も掛けられたそうで、まだペンキの匂いがあたりに漂ってるような状態でした。




 

昭和30年代後半になって各地の簡易軌道で導入された新世代の自走客車は、北海道開発局主導のもとに行われた基本設計によるものでしたので、道内の車両製造会社、釧路製作所・泰和車輌・運輸工業から納入されたそれらも、基本的には同じようなスタイルをしていました。

 

そのような中で、個性と云えるのがフロントマスクや通風器の形状で、この泰和車輌で製造されたものは、いわゆる湘南フェイスをしたモダンさが売り物でした。

 

他に「泰和らしさ」を出していたのがこのアーチバー型台車で、一見釧路製作所や運輸工業のものと同じように見えますが、センターの板バネは1対ではなく2対となっているのがお判りでしょう。
 軸箱下のコの字型の板は、他の泰和製には見られない事からこの車両固有のもので、後から何らかの理由で加工されたものだと思われます。
 よっぽど路盤がデコボコで、より多くの軸箱上下動寸法が欲しかったのでしょうか・・・。


 

また、特に目を引くのが立体的な揺れ枕の構造です。釧路製作所や運輸工業のものは揺れ枕の吊リンクが台車枠内にあるのに対して、こちらは外側にあるので、その構造がよく判ります。
 揺れ枕の吊リンクが外側にあるため、当然乗り心地も良かったハズです。
 当社の製品浜中の泰和製自走客車では販売価格を抑えるために釧路製スタイルの物を使っていますが、近い将来にはこのスタイルを製品化する予定にしております。


 

「みなくる」は図書館などの施設の他に、今まで郷土資料館に保存展示されていたものが展示されています。
 以下の写真は展示されていたものですが、泰和製6tDLや酒井製ロータリーDLが貴重なカラー写真で残っていました。


 

左は運輸工業製自走客車(丹頂号=簡易軌道で初の両端式自走客車)泰和車輌製自走客車(若鶴号)が連結されて使用されている姿で、右は丹頂号の車内風景です。

 

左は今回大発見となった写真です。「修学旅行出発」と題された写真なのですが、酒井製6tDLの後ろには、背充て板がある事や着座位置の関係から、恐らくシートが設置された無蓋車が繋がり、しかもその後ろには正体不明の車両が従っています。
 客室まで5個という小型自走客車などは無いので、当然牽引客車と思われるのですが、今まで鶴居村営軌道の資料には無かった車両で、Hゴムを多用した姿から昭和30年代後半製と思われます。
 まさか他の村の軌道の写真が混在しているとも思えませんので、今後更に調べてみる必要があります。
 右は運輸工業製6tDLが牽く列車の光景で「軌道の整備作業」というタイトルが付けられていました。




実はこの保存されている泰和製自走客車の塗色について、今回どのような理由からこの色に塗られたのかと、応対して下さった教育委員会の方にお伺いしたところ、当時運転手をされていた方から聞いて極力正確な色を再現しました、とのコメントを頂きました。
 では、その方にぜひお会いして、当時のお話をお伺いしたいと申し出たところ、その運転手さんから快諾を頂き、採寸作業を終えてからお宅にお邪魔させて頂きました。

その方曰く「本当は保存車両とチョット色味が違うようだけれども、この泰和製が導入された当初は濃淡ブルーに塗られていて、その後に濃淡グリーンに塗り替えられた」そうです。
 ちょうど「簡易軌道写真帖」を持参していたので、そのカラーページをお見せしたところ「薄い方のブルーは今まで泰和製6tDLに塗られていた色が退色する前の色に近くて、濃い方のブルーはそれを暗くしたような色だった」そうです。
 また、雪裡線と幌呂線によって車両の塗色が違うということはなかったそうです。

もう一方の泰和製6tDLの塗色に関しても言及され「もう少し明るい草色だった」と仰っていましたから、これは上のカラー写真のように「建設省グリーン」で間違いないようです。

とにかくカラーフィルムがまだまだ貴重だった時代ですから、残されたカラー写真も僅かで、このような生き証人のお話は貴重な資料となりますので、今回はその意味でも有意義な取材になりました。